2010年02月01日
清水の傷跡。
『静岡県の戦争遺跡を歩く』という本。まち歩きのテーマとなると少しHEAVYな感じですが、清水も戦火の中にあり多くの被害を受け、港にも焼夷弾が落とされ、多数の被害者を出し、わが街も焼け野原になったと、父や祖父、我が店の高齢のお客様から当時の生々しい恐怖の実体験を聞いてはいた。戦中戦後の清水で、明るく元気に復興して行く様子が「季刊清水42号」に書かれていましたが、平和で穏やかなこの今の清水に住む、私を含め戦争を知らない世代には到底信じられない事。何かその当時の痕跡は無いものかと『静岡県の戦争遺跡を歩く』をパラパラめくったら、いつも目にする構築物が色々。先日、通りすがりも含めてちょっと寄ってみた。見慣れた風景の裏真実に驚く事多し。
紹介されている現存する清水区の主なスポットを、
★國威宣揚の碑(万世町、元松坂屋横、今ローソン準備中)
黒いススは、当時の焼夷弾で焼けたままの姿だそう。
国旗や祝出征幟をたてる為の穴が左右に貫通している。
裏に紀元弐千六百壱年 万世町ニ丁目町内会とある。
紀元弐千六百壱年=1941年昭和16年日米開戦の年の建立。
(年号表記法については皇国史観に基づく皇紀によるものですが、本書を見て下さい。)
★岡町八幡神社の楠
焼夷弾で焼けた楠、伸びていない。
★震洋掩体(三保真崎、松前球場付近にに数カ所点在)
三保街道、エスパルスグランドの手前にあって駿河湾に向かい建つ、特攻艦『震洋(しんよう)』の格納庫。他に松前球場付近松林の中に数基点在している。震洋とは、ベニヤのボートに爆薬を積んで敵艦に体当たり自爆する特攻艇の事(人間魚雷回天と類似)。三保真崎の富士を望むこの地にあったとは・・。大平洋を震え上がらせるという意味の「震洋」否応無しに、帰る事のない出撃に行く若者達。
★テルファー(ドリプラ)
この前の海では焼夷弾の雨の中ここまで集まって来たと、杉山正三さんは今でもこの景色を見ると思い出す。
以下、『静岡県の戦争遺跡を歩く』にて紹介されている清水の傷跡。
★万世橋(よろずよばし)・警防団、Kさんは逃げ遅れ空襲の夜この橋の下で一夜を明かす。
★禅叢寺(上清水町)・『爪牙窟』の偏額と昆蘭樹の焼跡。
★カトリック清水教会(聖母保育園)・浜御殿、列祖殿跡、ドラエ神父。
★妙慶寺の鐘(清水区清水町)、戦中供出した鐘が米国より戻る。
★港橋、戦火を逃れ橋の下に逃げ込んだ。
★九華堂の蔵(港町)戦火の焼跡が残る
★美濃輪稲荷神社、焼夷弾で焼失。
と、かなりの痕跡を残す。まだまだ市内には数多くの痕跡があるんでしょうね。たまたま残っているのか、コレを伝えようと残されているの分りませんが、平和で、戦争の痕跡薄い清水のまちで、残されている構築物が、何か語り継ぐ事を望んでいるようで、付近を通った時は、チョコっとでも話ができるといいかな。
本文中の書籍と施設
『静岡県の戦争遺跡を歩く』静岡新聞社刊。ISBN978-4-7838-0356-0
『静岡平和資料センター』葵区伝馬町http://homepage2.nifty.com/shizuoka-heiwa/。
紹介されている現存する清水区の主なスポットを、
★國威宣揚の碑(万世町、元松坂屋横、今ローソン準備中)
黒いススは、当時の焼夷弾で焼けたままの姿だそう。
国旗や祝出征幟をたてる為の穴が左右に貫通している。
裏に紀元弐千六百壱年 万世町ニ丁目町内会とある。
紀元弐千六百壱年=1941年昭和16年日米開戦の年の建立。
(年号表記法については皇国史観に基づく皇紀によるものですが、本書を見て下さい。)
★岡町八幡神社の楠
焼夷弾で焼けた楠、伸びていない。
★震洋掩体(三保真崎、松前球場付近にに数カ所点在)
三保街道、エスパルスグランドの手前にあって駿河湾に向かい建つ、特攻艦『震洋(しんよう)』の格納庫。他に松前球場付近松林の中に数基点在している。震洋とは、ベニヤのボートに爆薬を積んで敵艦に体当たり自爆する特攻艇の事(人間魚雷回天と類似)。三保真崎の富士を望むこの地にあったとは・・。大平洋を震え上がらせるという意味の「震洋」否応無しに、帰る事のない出撃に行く若者達。
★テルファー(ドリプラ)
この前の海では焼夷弾の雨の中ここまで集まって来たと、杉山正三さんは今でもこの景色を見ると思い出す。
以下、『静岡県の戦争遺跡を歩く』にて紹介されている清水の傷跡。
★万世橋(よろずよばし)・警防団、Kさんは逃げ遅れ空襲の夜この橋の下で一夜を明かす。
★禅叢寺(上清水町)・『爪牙窟』の偏額と昆蘭樹の焼跡。
★カトリック清水教会(聖母保育園)・浜御殿、列祖殿跡、ドラエ神父。
★妙慶寺の鐘(清水区清水町)、戦中供出した鐘が米国より戻る。
★港橋、戦火を逃れ橋の下に逃げ込んだ。
★九華堂の蔵(港町)戦火の焼跡が残る
★美濃輪稲荷神社、焼夷弾で焼失。
と、かなりの痕跡を残す。まだまだ市内には数多くの痕跡があるんでしょうね。たまたま残っているのか、コレを伝えようと残されているの分りませんが、平和で、戦争の痕跡薄い清水のまちで、残されている構築物が、何か語り継ぐ事を望んでいるようで、付近を通った時は、チョコっとでも話ができるといいかな。
本文中の書籍と施設
『静岡県の戦争遺跡を歩く』静岡新聞社刊。ISBN978-4-7838-0356-0
『静岡平和資料センター』葵区伝馬町http://homepage2.nifty.com/shizuoka-heiwa/。
Posted by 八兵衛 at 15:00│Comments(0)
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