2012年07月06日

佃島、田中屋の佃煮と清水港町向島

親類から少し早いけどと夏のご挨拶がありました。
中央区佃の「 佃源 田中屋 」さんというお店の佃煮です。
店に出向かなければ買えず、ネット販売しないお店というのも今時珍しい。
佃島と言う昔の影残る街の佇まいの中、老舗の風格たっぷりのお店だと言う事です。

佃島、田中屋の佃煮と清水港町向島

江戸の長期保存食だった昔ながらの佃煮らしく少し味が濃いような。
江戸前の海老、あさり、そぽろ,昆布、白魚etc。白飯、むすび、茶漬けに良し、肴になお良し。


佃島、田中屋の佃煮と清水港町向島
ほとんどの老舗の佃煮は「 津久多゛に 」表記の多に濁点


ビル群や、大通りを一歩入ると引き戸の家があったり、長屋があったり、
打ち水をしながら、長椅子に座っているようなおじさんが居るような
江戸からの人情風情ある東京の街が好きです。

この佃島の起源をググッたら、家康の時代、摂津国佃村(現在の大阪府)から江戸に移った漁師33人が、砂州に土砂を埋め立て拡張し、島を作りして住む事になり、この島を故郷にちなんで「佃嶋」と命名した。その漁師が保存食として作ったのが佃煮。
とあり、それは巴川と墨田川の違いはあれど、我が居住区清水区港町の成り立ち似ていたので、
確証を得るため、街の歴史に詳しい美濃輪の魚屋さんに聞いたら、
間髪入れずiPhoneから古地図を示して教えてくれました。太古の昔は巴川、港橋の東側は海であり、自然流や地震等で次第に砂が堆積され、砂州から島になり向島と呼ばれ、現在の清水区港町や入船町、万世町辺りに成ったと。松原町は砂浜にあった松林の、島崎町は島の先っぽの名残とか。

港橋巴川を挟んで美濃輪側を、でき島(できしま)、エスパルス通り側を向島と言い。
向島の名残、港橋バス亭の島崎タクシー裏、細い路地に有る正一位「向島稲荷神社」
佃島、田中屋の佃煮と清水港町向島


昔の時代なら我々は向島島民です?
単に街の成り立ちが似ているというだけなんですんませんが、
河口の街はこんな話が多いのかもです。

最近続く事が多いですが、一昨日、近所の不祝儀のお返しに、お江戸、吾妻橋の佃煮が。
佃島、田中屋の佃煮と清水港町向島

当分ご飯のお供に困らないぞぉ〜。



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Posted by 八兵衛 at 18:18│Comments(0)美味しん坊 バンザイ!
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